中林 道治

2011年、未曾有の被害をもたらした東日本大震災。震源地から約200km離れている山忠のある新潟県加茂市でも、その日は震度4の大きな揺れを感じました。
「お世話になってきた東北のお客さんたちが困っている。山忠として何かできることはないのか」
「着の身着のまま避難された寒い体育館。身体が冷え切って困っているんじゃないか」
そんな意見が社内で飛び交ったのは、震災の状況を報道で知ってからでした。

創業以来、お世話になってきた東北のお客様を助けたい。

創業後まもなく、創業者たちが行商へと旅立ったのは東北の地。以降、40年にわたる現在まで、多くの東北のお客様から山忠は支えられてきたのです。

被災地に何か物資をお届けしたい!

当時の社長を含め、話し合いが続けられましたが、まだまだ余震も続いている状況下です。
「ぜひ、私たちで被災地に物資を届けさせください!」と願い出ましたが、社員の身の安全を考えると、
会社判断としては了承することができないとの社長の考えでした。しかし、やはり社長も東北のお客様を想う気持ちは一緒です。「家族の了解を得ることができれば」という条件付きで承諾していただき、あたたかな靴下を運搬する準備を始めたのでした。

情報が錯綜しており、世の中が混乱しているさなか、できるだけ末端にいる方々に物資をお届けしたい気持ちで受け入れ先を丹念に探し、震災から5日経過した3月16日、第一陣として私を含めた3人が岩手県へ向かいました。

北上川も凍ってしまうほどの凍てつく寒さの中、我々は被災地へと向かったのですが、救援物資の中継地点はあらゆるモノであふれかえり、末端にいる生活者の方々にはなかなか物資が行き届かない現状を目の当たりにしました。現地で本当に必要なものは何かを聞き取ると、山忠でも扱いのあった肌着の要望も多かったので、今度はそれも運搬したのでした。

以降、山忠ではその1年間、1回だけの物資運搬に終わるのではなく、宮城県栗原市、多賀城市、石巻市、気仙沼市、登米市など数回にわたり継続しながら、現地の聞き取りから掴んだ本当に必要な救援物資を被災地へお届けしていきました。

被災している中、山忠の靴下を
すり切れるほど履きたおしてくれたお客様。

忘れられない出来事をひとつだけご紹介します。
震災発生から約8ヵ月後、宮城県のある保育所から一通のお手紙をいただきました。「災害時、山忠の『足うら美人ボーダータイプ』を履きながら避難。買い物も自由には行けず、かかとが擦り切れるほど履き倒した。二重に編まれたこの靴下はとてもあたたかく、大変役に立った」とのことでした。さっそく、この保育所に出向き、靴下約300足を支援させていただきましたが、お手紙に書かれていたボロボロになった『足うら美人ボーダータイプ』を涙ながらに見せていただき、伺ったスタッフ2名も思わず涙したとのことでした。

お世話になってきた東北の方たちの災難を、見て見ぬふりはできません。純粋にこうした気持ちから、なんとかしなくてはと靴下を運び出し、被災地に駆け付けたわけですが、現場で見た被災者の方々の笑顔が忘れられません。

人は誰かの役に立ってこそ、心の深い所で喜びを感じることが出来る。

山忠ではこの創業者の教えを大切に守りながら商品づくりをしてきましたが、その言葉通りに、皆様のお役に少しでも立てた、という喜びで私達の方が会社をあげて元気づけられた次第です。