石田 稔(商品開発担当)

中国とモノ作りをすることの難しさと厳しい現実。

「こちらの当たり前が当たり前じゃない世界もある」

中国という異国の地で納得のいくモノづくりを行なえるようになるまで、私は膨大な時間と労力を費やしてきました。1992年、私が中国とのビジネスを開始し始めた頃、例えば
「シルク商品の糸の太さが安定していない」
「寝具に品質の悪い真綿が含まれていた」
「仕上がってきたサンプルが違う」など、
日本でのやり方では埒が明かないことばかり起こっていました。細かく説明しても、ちっとも理解してくれず、心が通じ合わないことは日常茶飯事でした。こちらの意向通りにモノづくりが進まないのは、人との付き合いや仕事に対する根本的な意識の違いが起因しているようでした。

日本の場合、仕事を依頼する側は、任せた相手に商品はもちろん、仕事に付随する配慮なども知らずうちに期待しています。ところが当時の中国の場合、相手の指示を自分の都合のよいように受け取り、依頼主はもちろん、商品を使われるお客様のことなど考えずに、自分たちにどれだけメリットがあるのかといったことばかりを考えているように私は感じました。
私自身も自分たちのメリットばかりを話していたので、このようなコミュニケーションミスが起きてしまったと、かなり後になってから気づいたのですが、当時、私はこちらの当たり前が通用しない現状に愕然としたのでした。そんなとき、私はいつも自分自身に言い聞かせてきたことがあります。

「現地・現場の人と直接会い、思いを伝えることで状況が変わることもある」

契約書とにらめっこしながら、電話だけで仕事相手と話すのではなく、何か問題があったら、現地・現場の人に直接会って話し合うことで、形勢が逆転することがあるということを山忠では代々伝えられてきました。行商で直接お客様の声を聴き、商品づくりに活かしてきた、それが山忠の歴史そのものだからです。

中国工場での作業の様子

直接「会いに行く、話し合う」。
山忠の行商精神を発揮することで築きあげた信頼関係。

私は中国へ出向く際、必ず実施していたことがあります。それは、窓口担当者だけではなく、各工程の責任者や工場の工員たちとも直接話し合うことです。どんな立場の人でも、認めることはきちんと認めながら、少しずつこちらの考えを伝えてきました。

それでも意思や意向が伝わらず、時にはお互いが激しく言い合うこともありました。しかし、現地スタッフから「あのとき、勇気を持って我々に教えてくれたことが嬉しかった。あの一件があったからこそ、今、品質の良い商品が作れるようになった」そう話してくれたときの感動は今でも忘れません。

国内外のメーカーから品質に対して厳しいといわれる山忠です。
私が設定価格に妥協して、素材のランクを落とすことを検討したときがありました。その時、中国の現地スタッフから「そんな考えは山忠らしくない」と、逆に叱咤の言葉をかけてくれたのでした。これにはとても感動いたしました。たとえ文化や考え方が違う異国でも、こうして心を寄せて話し合うことで、価値観を共有できるのだと実感したからです。

2005年を超えたあたりから中国の人件費も少しずつ上がり、労働賃金の安さからベトナム、バングラデシュ、ミャンマー、ラオスなど、各国を流浪する企業も増えてきました。しかし山忠は、国内はもちろん、たとえ国境を越えたとしても、単に賃金の安さを求めるのではなく、その国の方達と共に良いものを作ることに情熱をかたむけてきました。取引当初は数ヶ月でできる商品ばかりを依頼していたその関係も、今では数年かけて共に研究する商品作りも行なえるような関係性が築けてきました。研究期間というのは、いわば金銭的には何も取引がない状態です。つまり、お互いが信用していなければ、このようなことは起こり得ないのです。

私は自分がこれまで行なってきたことがようやく形になってきたことを今、実感しています。日本で当たり前としてやってきた仕事の仕方も、今では中国でも同じように出来るようになりました。
中国のスタッフ達とお互いを信頼し、切磋琢磨し、一緒にいいものを、お客様に喜んでもらえるものを開発している誇りと喜びを共有しています。